<道産子サラリーマン@東京>第1部 ホテル業界で


*6*望郷*「本籍は変えられなくて」
2006.10.22 北海道新聞朝刊全道


 大都会の東京だが、電車で西に向かえば、都心にはない自然に出合える。中居法仁(のりひと)(40)が住む八王子市にも、緑に包まれた小高い山やザリガニのいる川が身近にある。

 ただし、その自然と引き換えに、勤め人は長い通勤時間という代償を払わなければならない。中居も、会社までJRを三本乗り継いで約一時間半かかる。しかも、満員電車。「これさえなければなぁ」。たまには、ぼやきも口をつく。

 九月下旬、そんな中居の家に、故郷の桧山管内乙部町からめいがやってきた。来春、高校を卒業するめいは、中居が働くホテルの就職試験を受けに来たのだ。あどけない顔に浮かぶ不安げな表情に、中居は二十数年前の自分を思い出しながら優しく声をかけた。

 「ホテルっておもしろいよ。とにかく三年、頑張ってみな」

 道南の日本海側に位置する乙部は人口五千人弱。一本釣りのスケソウダラ漁で知られるが、雇用の場は多くない。中居もそうであったように、高校卒業後多くの若者が地元を離れ、都会へと出て行く。

 日々の仕事に追われる中居が乙部に帰省するのは、せいぜい年に一度。ただ、ひとたび帰ると連絡しなくても旧友たちが一人、また一人と集まってくる。「中居ぃ、いるがぁ」。懐かしい浜言葉を聞くと、都会生活の中でしこっていた気持ちが心地よくほぐされる。

 「剣道を教えた子が全道チャンピオンになった」「町おこしイベントがうまくいってな」−。故郷で暮らす友達の近況を聞いていると、うれしくもあり、複雑でもある。「なんか会社であくせく働く自分が、ちっぽけに見えちゃうんですよ」

 四年前、念願のマンションを購入した。息子と遊べる公園や川に近い立地が気に入っているが、あと三十年以上ローンが残っている。来春からは就職が決まっためいも同居、新しい生活が始まる。

 「一つだけこだわり続けていることがあるんです」。そう言って中居は運転免許証を見せた。本籍欄に「北海道爾志(にし)郡乙部町」とあった。役所の手続きに不便な時もあるが、「いつまでも変えられなくて。乙部は、僕の自慢ですから」。

 きょうも満員電車。五年後も、十年後も、きっとこの東京で働いているだろう。過去を振り返り、今の自分を見つめながら、中居は思う。「十分満たされている」と。 (敬称略)

=第一部おわり

(文を東京政経部・渡辺玲男、写真を東京写真課・加藤哲朗が担当しました)

*データ

 中居の母校、桧山管内江差町にある道立江差高校の2005年度の卒業生は142人。そのうち卒業時点で、同管内に就職先が見つかって地元に残った生徒は10人にとどまる。30人が地元を離れて就職したほか、90人が札幌や東京の大学などに進学した。


*5*両親*「働くところを見せたかった」
2006.10.21 北海道新聞朝刊全道


 中居法仁(のりひと)(40)には、忘れられない曲がある。

 往年の人気ロックグループ、甲斐(かい)バンドの「東京の一夜」。田舎から出てきた若者が、都会の喧騒(けんそう)の中で揺れる思いをつづった歌だ。上京したばかりのころ、切ないフレーズに自らの姿を重ね合わせた。

 繰り返し聴いたテープは、どこかにしまい込んだままだが、今でも、記憶の底からふっと、歌詞が浮き上がってくることがある。

 高校三年の夏、中居は就職先を探していた。勉強はそこそこできたが、家の経済状況を考えると「働くしかないって思っていた」。

 そんな中居にある日、進路指導の教師が一枚の紙を差し出した。夜にホテルで働けば、大学に通う奨学金がもらえる「通学社員」の募集要項だった。希望する大学も決めないまま、銀座第一ホテルの入社試験を受けた。

 思いもかけず進学の道が開けた中居は、教師になろうと考えた。勉強も、人と接するのも嫌いではなかった。安定した職に就いて、桧山管内乙部町で暮らす親の喜ぶ顔が見たいとも思った。

 勉強と仕事の両立はきつかったが、夜の街、銀座のホテルは刺激的だった。テレビで見た有名人がお忍びで来たり、「これで泊めろ」と札束をポンと出す客がいたり。「田舎では考えられないことが毎日起きた」

 なにより接客業が性に合っていた。トラブルで毎日のように客や上司から怒鳴られても、ちょっと気を利かせた時の、客からの「ありがとう」の一言がうれしかった。接客はここまでやればいいという到達点がない。「それがおもしろかった」

 まじめで古風な母は、学業と仕事を掛け持ちする息子をいつも気遣ってくれた。銀座で暴力団の抗争事件が起きると、すぐに心配の電話をかけてきた。本当は教師になってほしかったのだろう。だが、ホテルの仕事を続けたいと話した時、両親は「おまえの好きなようにやりな」と言っただけだった。

 「泊まりに来てよ」。正社員になり、仕事にも慣れてきたころ、何度か両親を誘ったが、病気で体が不自由だった母も、介護する父も「東京は遠いからなあ」と力ない声を返すばかりだった。

 そんな両親ももういない。二年前、がんで倒れた母は意識が戻らぬまま、見舞いに駆けつけた中居が仕事で東京に戻った翌日に病院で息を引き取った。

 「一度働くところを見せたかった」。それが今も心残りだ。(敬称略)

*データ

 日本学生支援機構の2004年の調査では、大学に通いながら、アルバイトなどで働いている学生は76.8%に上る。そのうち親の援助だけで修学困難な人は16.8%、援助自体を受けてない人は3.4%だった。


*4*親友*「いや、おれはここで頑張るよ」
2006.10.20 北海道新聞朝刊全道


 思い通りにいかない仕事に疲れ、愚痴の一つもこぼしたくなる夜。中居法仁(のりひと)(40)は、携帯電話で短いメールを送る。

 「これから、どう?」「九時すぎなら」

 相手は函館出身の木立(きだち)満(40)だ。桧山管内乙部町出身の中居とは二十年来の親友で、突然の誘いにも嫌な顔もせずに付き合ってくれる。

 第一ホテルの同期入社で、独身時代に同じ寮の部屋で寝食を共にした仲だ。営業に接客と部署は違ったが、仕事でも遊びでも「あいつには負けたくない」と互いに張り合い、そして助け合ってきた。飲めば、家族や故郷の北海道の話で盛り上がる。だが、二人はいま別々の道を歩いている。木立は七年前、東京ドームホテルに転職したのだ。

 終身雇用が根強い日本社会だが、ホテル業界は一、二回の転職なら当たり前と言われる。ホテルは接客技能を身に付けた即戦力を欲しがり、業界内には「転職はステップアップ」と見る空気もある。新規開業するホテルがあれば、「自分を試したい」という経験者がどっと集まる。木立もそんな一人だった。

 「おまえはどうする」。会社を辞める時、木立は行きつけの店とは違う小さな居酒屋に中居を誘って、切り出した。第一ホテルには、既に倒産のうわさがささやかれていた。それでも中居は首を振った。「いや、おれはここで頑張るよ」

 大学在学中からホテル業界で働き始め、「現場で一から積み上げてきた」という自負がある。正論と思えば上司にも平気で食ってかかった。中居を知る人はその「真っすぐさ」を理解するが、「生意気だ」と反発を受けることもないではない。

 そんな中居だから、会社を辞めたいと思ったことも一度や二度ではない。自宅で一人、求人情報に見入ったこともある。知人のつてで「レストランを経営しないか」という誘いもあった。だが、そのたびに思いとどまってきた。

 会社を去った同僚たちが、転職先で過大評価されて重圧につぶされたり、外資系ホテルで激しい社内競争に巻き込まれた姿を見てきた。「転職して本当にやりたいことができるのか」。願望の先に果たして自分の求める現実があるのか、いつも信じ切れない自分がいた。

 「器用に周りに合わせられる人じゃない。他の会社に行けばきっと苦労する」。妻の純子も転職を勧めたことはない。

 もう四十歳。部下もいる。転職の二文字が、頭をよぎることはなくなった。(敬称略)

*データ

 ホテル業界で働く人たちの転職率は、10%超と言われる。1年間に10人に1人以上が転職している計算だ。総務省によると、2005年度の全産業の平均転職率は5.1%でここ数年ほぼ横ばい。ただ転職希望率は10%を超え、近年上昇傾向にある。


*3*濁流*「支えてくれる人いるだけで」
2006.10.19 北海道新聞朝刊全道


 「ほな、また」「お疲れやなぁ」。九月中旬の、とある午後。帰り支度をする中居法仁(のりひと)(40)に同僚らが声をかけた。大阪・梅田にある阪急ホテルマネジメント本社。関西への出張とはいえ、日帰りのとんぼ返りも珍しくはない。

 第一ホテルが倒産し、本社が阪急グループの拠点である大阪に移って来月で五年になる。顔見知りもいないため最初は戸惑い交じりで足を運んだ本社だが、今では雑談を交わす仲間も増えた。「何度出張したか分からないですからね」

 大阪の本社通いが始まったのは、会社が倒産し、IT企画課に異動になってからだ。阪急との合併に向けて新設されたこの部署の任務は、各ホテルで別々だったシステムの統合など、業務の効率化を図ることだった。

 ところが、同じホテル業でも、東の第一と西の阪急では「ずれがあった」。例えば、牛肉の「ヒレ」が関西では「ヘレ」。呼び方にとどまらず、給与計算の仕方から仕事の手順、処理の速さまであらゆることが違っていた。

 「何でこっちが変えんとあかんのや」。作業を進めると、東西双方の現場から不満が出た。「効率化のためですから」と説明しても、なかなか受け入れてもらえない。重い頭を抱えて、東京と大阪を行き来する日々が何カ月も続いた。

 不運は重なった。中居の直属の上司が突然亡くなり、何倍もの仕事がのしかかってきた。「やらなきゃ、やらなきゃ…」。焦りだけが頭を埋め尽くし、仕事は一向に進まない。ノイローゼの一歩手前だった。

 そんなある日、子供を寝かしつけた妻の純子(38)が、思い詰めた顔の中居に言った。「仕事辞めてもいいよ。私がもっと稼ぎのいい仕事探して頑張るから」。わざと冗談めかして妻が口にした慰めの言葉。中居は黙ったまま、体の中の重荷が少しずつ軽くなっていくのを感じていた。

 会社のため、家族のため−。背伸びをして何度も「濁流の中でおぼれそう」になってきた。そんな時、励ましてくれる家族や同僚がいた。

 最近は妻や五歳になる長男と過ごす家族の時間を、何より大切にしたいと考える自分がいる。「つらい時に支えになってくれる人がいる。それで十分だ」と思う。

 IT企画課の仕事にも慣れ、今はやりがいを感じている。

 そんな中居の中で、会社を辞めたいと考えた日々は既に遠い昔になりつつあった。(敬称略)

*データ

 2002年の厚生労働省の調査では、働いている人のうち普段の仕事で「疲れる」と回答したのは72%。「ストレスがある」は61%だった。ストレスの原因は《1》職場の人間関係《2》仕事の量《3》仕事の質《4》会社の将来性−の順だった。


*2*倒産*「仕事、経歴 リセットされた」
2006.10.18 北海道新聞朝刊全道


 東京・銀座は夜が更けるほどに、その明るさを増す。好不況の波に揺られてきた高級クラブやバーのネオンがまぶしいこの街は、中居法仁(のりひと)(40)にとって過去を思い出させる場所でもある。

 「あそこに十五階建てのホテルがあったんですよ」。中居が遠く見上げた先には、二十五階建ての三井ガーデンホテルがそびえ立つ。かつて勤めていた銀座第一ホテルは六年前に経営会社が倒産し、建物が取り壊された場所には、もはや当時の面影のかけらすらもなくなっている。

 会社が倒産の危機にひんしていた時、中居は日本から二千キロ以上も離れたサイパンにいた。現地の系列ホテルに出向し、現地従業員らの接客指導に奔走していた。

 赴任から五カ月。現地での生活にようやく慣れてきたころ、支配人に呼び出された。「さっき日本でニュース速報が流れたらしい」。倒産の知らせだった。

 「ついに来たか」。十五年間勤めてきた会社の終焉(しゅうえん)。だが、不思議と驚きはなかった。バブル期の過剰投資による負債や取引銀行の破たんで経営が悪化しているのは知っていたし、それなりに覚悟もできていた。

 会社更生法の下で再建を目指すことになったが、先々を考えると漠とした不安が胸を締め付けた。しかし、自分に何ができるのか。自問する日々に、答えは見つからなかった。

 倒産後の落ち着かない営業が続くある日のこと。銀座第一ホテルのテナント経営者がサイパン旅行にやってきた。応対した中居に、店主は小さな箱に入っためんたいこを差し出した。「あんたに渡してくれって」。なじみにしていた福岡の常連客からのお土産だった。

 「こんなお客さんもいるのに…」。接客一筋に全力投球してきた中居の仕事への愛着と倒産という現実が、いらだちとなって針のように心を突き刺した。

 会社は阪急電鉄の支援を受けて、再建に向けて動きだすことになった。とりあえず仕事が続けられるという安堵(あんど)もあったが、中居の中で積み上げてきたものが力なく崩れていった。「リセットされた」−仕事も、そして経歴も…。

 倒産の翌年七月、帰国した中居は慣れ親しんだ接客現場から、IT企画課に異動になった。本当の苦労がそれから始まるとは、まだ想像もしていなかった。 (敬称略)

*データ

 金融破たんの余波が続いていた2000年は、第一ホテルのほか、千代田生命、そごうなど一流企業の大型倒産が相次いだ。東京商工リサーチによると、倒産件数は全国で約1万9000件、負債総額は23兆8000億円に達し、今でも過去最高額である。


*1*日常*「勝ち負けってなんだろうか」
2006.10.17 北海道新聞朝刊全道


 東京・新橋−。オフィス街に囲まれた“サラリーマンの街”の朝は、駅の改札口から吐き出されてくる人波で始まる。十月に入って、クールビズは背広姿に変わり、初秋の風がネクタイをゆっくりと揺らし始めた。

 その人波の中に、桧山管内乙部町出身の中居法仁(のりひと)(40)はいた。全国四十四カ所のホテルを運営する阪急ホテルマネジメントに勤務する。ホテルマンとして二十二年。接客業務を担当した後、IT企画課に配属されてもう五年になった。

 オフィスは第一ホテル東京の地下一階にある。山積みになった資料の中で、まずはパソコンに向かう。社内から届くメールには「客室のインターネットが使えない」などトラブル絡みが多い。

 その処理に振り回されるのがいつもの朝の日常だ。「おかげで、毎日やることが違うんですよ」。中居の笑顔には屈託がない。

 東京都内などに外資系の高級ホテルが相次いで進出し、ホテルの集客合戦は年々激しさを増している。中居の職場も、その競争をのんきに眺めている余裕はない。インターネット予約サイトの利便性向上、新サービスのためのシステム開発…。ホテル戦争には、戦わないで済む「銃後の守り」などどこにもないのだ。

 中居はこのところ、人に名刺を差し出すたびに「すいません。まだ古い名刺のままで…」と頭を下げている。

 今月一日、親会社が阪神電鉄を吸収合併し、中居の勤務先も阪急阪神第一ホテルグループに組織と名称が変わったためだ。

 統合作業が本格化するにつれ、中居の仕事も忙しくなりそうだ。そんな先々の段取りを考えながら、頭をふとよぎるものがある。

 「阪神の社員は、今どんな思いなのだろうか」と。

 帰宅途中の満員電車に揺られながら、中居は中づりの雑誌広告に「勝ち組」「負け組」の文字を見つけた。企業の競争は確かに勝つか負けるかで、それ以外にはない。自分が仕事に打ち込むのもそのためだ。だが、人として、勝ちや負けがあるのか…。

 「なにが勝ちで、なにが負けなのか。ほどほどに暮らしていければ、それでいいのに」

 中居はそうつぶやきながら、勤めていたホテルが倒産した六年前を思い出していた。(敬称略)

                    ◇

 企業が生き残りをかけてしのぎを削る大都会・東京。利害や思惑が渦巻く中で、サラリーマンたちは出世競争に疲れ、人間関係に迷いながらも、時にささやかな、時に大きな夢を懸命に追い求める。故郷を遠く離れて働く北海道出身者たちの姿をシリーズで紹介する。

(東京政経部の渡辺玲男が担当し、6回連載します)

*データ  東京都内では外資系高級ホテルがバブル崩壊後の1990年代に相次いで進出。その後も「フォーシーズンズホテル丸の内 東京」などが続いた。「ザ・リッツ・カールトン東京」と「ザ ペニンシュラ東京」の開業で競争がピークに達する来年は「2007年問題」と呼ばれている。
「札幌ホテルマン情報」 観光情報